進藤守はとろみ茶を口に含みつつ、目の前に座る白波百合と桜井玲奈を見比べる。また面白い子を連れてきたものだと笑みを零す。桜井ちゃんは確か沢尻悠のプリセプティだったな。そんな事も思い出した。
まぁここまで高齢者の脱水症状は経口摂取の低下が原因な事は多いと話したが、まぁ臨床で見るその原因は本当に多岐に渡る。多くは細胞外液、つまりは血液の量が減少してしまう訳だから、その事も念頭に置かなければならない。
・・・という事は血圧が下がりやすかったり、姿勢によっては頭に血が昇らなくなるって事っすかね?
そうですわね。病棟でも離床して血圧が下がってしまって離床が進まずに寝たきり・・・という方も見かけますわ。
そうだな。血圧が下がるという言葉には色んな原因がある。心臓の機能が低下して血圧が上げられない、低拍出症候群(LOS)もあるが、この多くは心臓外科手術後の合併症であるし、血圧に影響するほどの心房細動は警戒すべきだが、実はそういった事は、病態のある程度安定している回復期病棟では余り見かけなかったりする。
ムッと桜井は片眉を上げる。なんともこの子も表情が素直だと進藤は頭を少し傾ける。頭でっかちで堅物だと沢尻は零していたが、なんとも良い子じゃないかと進藤は思う。
例えば重症の患者様は同時に脱水傾向である事も多い。そして痩せている事もまた多いよな?
確かにそれはそうですわね。そういう方ほど口から水分を取る事は難しいですわ。
それもそうだけど、水分に加えて別の原因もまた多い。痩せている方は特に血中のアルブミン、たんぱく質だな。この値が低下している事もまた多い。するとどうなるだろうか?
低アルブミン血症っすね!こう、代謝の過程で血管の中に水を留めておくのがアルブミンの働きの一つっすから、それが減ると血管の中に水分が引き込めずに、体が浮腫むんすよね!
ご名答と進藤は答える。しかし百合ちゃんも沢山勉強したんだなと思う。あの西日の綺麗な休憩室での会話はいつだって、昔のリハビリ室を思い出させた。
血管内に水分が少ない、まぁ循環血液量が少ないと体を起こした時、特に足を下げた時に水分も重力に従い足の方に向かう。普段なら充足している血液が血圧を保つが、そうでない状態だとその時点で血圧は過度に下がる。
血圧は上腕動脈で測定しますものね。ならよく聞く寝たきりで下肢の筋肉量が低下していて、筋肉が収縮弛緩して心臓に血液を戻す筋ポンプ作用が低下しているだけが原因・・・とするのは早計かもしれないですわね。
覚醒状態にもよるけど原因を一つに絞るのは危険だな。しかし低アルブミン血症では、細胞内へ水が移行するから体は浮腫んで見える事も多い。しかし細胞外、まぁ血管の中では脱水の症状を来している事もまた多いのだ。
なるほど、確かに見た目は重要っすけど、だからと言って検査値でしかわからない事も多いって事っすね。体が浮腫んでいたら逆に体の中に水分が溜まり過ぎていると考えられるっすから。でも実際は他の検査値や画像などを見ないと分からないって事っすね。
そういう事。と進藤は再び答える。しかしまさか薫が暑さでへばっているとは、と考えるとそれもまた面白いと思う。主任の真似をしてコーヒーばかり飲んでいるからだ。と今度注意せねばなとも考えた。
そして俺らは入院中にも脱水症となる事を十分に念頭に置かなければならない。入院していても経口摂取量が十分でなかったり、飲水量が低下していると脱水症を呈する方もいる。それに肺炎や感染症によって熱発すると当然、体を冷やそうとする機構も働くからそれだけで水分が出て行く。
熱中症の様な状態が合併するという事も多くある訳って事ですわね。
ふむふむ。運ばれてきた主疾患や、リハビリの対象になる疾患だけを見ていてもダメって事っすね。しかしなんか考えれば考えるだけ頭がこんがらがってくるっす・・・
とにかくリハビリが進む上で水分の動態の変化は常に念頭に置く事、特に心不全を合併しており利尿剤が処方されている時には特にだな。そして経口摂取量や飲水量が減少している人には、飲水の習慣付けと生活の指導。これがまず俺らに出来る事だと思うよ。
それにトイレに行きたくないという理由、もしくは自分でトイレに行ける力が無いという理由もありますわ。なら例えば尿器やポータブルトイレの利用や可能な範囲で、トイレまでの導線を楽に安全にする事も必要ですわね。飲水を増やしてトイレに行こうとして転倒したなら元も子もないですわ。
進藤は改めて二人を見比べる。やはり後輩が育っていくのは嬉しいものだなと感じる。かつての主任もそのような気持ちだったのかは・・・今になっては知る由もない。
後はそうだな・・・その利尿っていうのもポイントの一つだな。例えば利尿作用の強いカフェインの入ったコーヒーなどの飲料やアルコールばかり飲んでいても、それだけでは脱水になる。だから脱水症の方は水分を普段何で取っているかも聞かないとな。
確かにそうですわね。飲み会の後に口が矢鱈と乾くのもそうですわ。ちゃんとスポーツドリンクや水分を摂らないとダメですわね。まさか白波さん?スポーツドリンクとアルコールを一緒に摂ると直ぐに酔うだなんて都市伝説を信じてはおられないかしら?
今は流石に信じていないっす!むしろ電解質を含む飲料で水分を摂る事は推奨っす!そして、それは先輩や上代に伝えて上げなきゃいけないっす・・・
ふん。と進藤は腕を組み仕方の無い友人の事を考える。どんなにその人の事のやり方を真似てみても考えまでは分からないのにな、と呆れてため息を吐く。だけどもきっとそれは、薫にとって必要な事だとも思う。
そうっすね!色々やっぱり考えなきゃだめっす!そしてとりあえず先輩に飲水を促してくるっす!
あぁ!たらふく飲ませてやったらよい!
熱中症も脱水症も予防できる事ではある。無論普段生活する範囲ではの話だけどな。そして俺たちもまたやらなければならない事も多い。
あの・・・私もご一緒しても・・・あぁ・・・やっぱりダメですわ!
赤面し両手に顔を埋める桜井を不思議そうに白波は首を傾げる。しかしここも昔とは違うが賑やかになってきたものだ。進藤は改めてそう思った。
白波百合のノート 89
・脱水に伴い立ち上がった時に血圧が低下する時もある。原因は一つに絞らない。
・脱水の兆候を伝えたり、トイレまでの導線を考えたり、生活と環境の調整は重要っす!
・進藤さんが何やら優しそうな表情っす。何かあったんすかね?
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
【これまでの話 その①】
【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】
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